コンパクトデザインシティ建設グループ視察報告書

日  時    平成24年7月14日〜15日
視察先    福岡市 (筥崎宮・櫛田神社・承天寺・祇園山笠追い山)
視察議員   ※鈴木和彦 ※石上顕太郎 ※栗田裕之 ※三浦雅司 ※望月俊明
         大村一雄 亀澤敏之 遠藤裕孝 近藤光男 杉山三四郎
         (※コンパクトデザインシティ研究グループメンバー)

静岡市生誕の偉人である、聖一国師の出征の地の市会議員として、国師の偉業を讃えると同時に、国師ゆかりの寺や僧侶、また地域の人々との縁を深める為、我々会派会長以下9名にて、生誕の地栃沢で過日行われた取水の儀にて集めた浄水を携え、今年も「博多祇園山笠追い山」に参加するため博多の地へ向かった。

静岡は栃沢生まれの偉人聖一国師は、大変な苦労の末に中国で学問を修め帰国されたが、その帰国も嵐に翻弄され韓国に流されたりした後にようやく博多の地に戻り、経典や学問を我が国に伝えたが、同時にお茶の実を持ち帰りお茶を日本に伝えられた人であり蕎麦やうどん、饅頭等にも国師のその偉業は影響を与えており、ただの偉いお坊さんを遥かに超越された大人物であった。

ある時、博多に疫病が大流行し聖一国師が、その病を鎮めるために町中に水を撒いて疫病を抑えたと謂われる故事に因んだお祭りが、博多祇園山笠追い山だといわれる由縁で、走る山車に向かって町中で水を懸ける習わしが始まったそうである。


そういう謂われが有ったにも拘らず、博多では聖一国師が静岡の人であることを知らず、静岡では国師が博多でこれほどの偉業を成し遂げていた事を知らなかった、という笑えない笑い話があったのであるが、静岡空港開港後、市長等が博多を訪れた際に承天寺にあった富士山の絵を見て、話が出た事がきっかけとなって先ほど書いた笑い話の謎が解けたと言うことである。

その事が基となって、これから両市の交流が、経済に限らず、文化に限らず人の交流、スポーツ等にも及んで広く市民、国民の為に役立て市政の発展を図ることこそが、偉人聖一国師の心に適うことであろう。

(文責 三浦雅司)